
しばしば「負け犬」という表記を見かけるけれど、どうして犬になってしまったのだろう。
アンダードッグが語源だって事は知っている。問題は、どうして「犬」なのか、そこだ。
だいたい、犬にも色々あるじゃないか。
ドーベルマン以下なら仕方ない気もする。でもチワワ以下だとしたらかなりまずい。
なにしろそいつは、プルプル震える50センチくらいの愛玩動物にすら敵わないのだ。
いまや犬は家族の一員だという考えが浸透している。そして犬は飼い主達に順位をつけて行動するという。
ならば、小学生時代の友達Fくんは完全に負け犬だろう。
彼の家で飼っていた柴犬が、彼にだけ懐かず、しょっちゅう追い回されていたという。
「飼い犬に追い回される負け犬」
こうなると、もうよく分からなくなってくるのだった。
話は変わって、ペットとして有名な動物といえばもう一種類ある。もちろん猫だ。
「負け猫」
なんとなく可愛い気がする。
猫が負けているのである。傷を抑え、潤んだ瞳で鳴きながらこっちを見ている猫。
そう考えると、負け犬にはない「守ってあげたさ」が生まれるから不思議である。
ここまでくると、なにもペットに限ったものではないだろう。
「負け猿」「負け獏」「負け猪」なんでもありである。
ただ、さすがにこれはまずいんじゃないか。
「負け獅子」
かなり辛い。負けてしまった百獣の王。
そこに漂うのは確かな悲壮感だけであり、同じ猫科でも大違いだ。
きみは「負け」何になるか。